教室概要

沿革

 「進取の精神と自由闊達な気風」と「医学・医療の攻究と地域医療への貢献」を建学の精神とする札幌医科大学医学部の歴史は、昭和20年(1945年)に北海道立女子医学専門学校が創設されたことに遡ります。戦後、昭和22年(1947年)年に成立された学校教育法の大改革により新制大学制度が規定され、北海道女子医学専門学校を母体に、昭和25年(1950年)に新制医科大学の第一号として札幌医科大学は開学されました。平成5年(1993年)には保健医療学部の開設により、医科系総合大学(Sapporo Medical University)となり、平成19年(2007年)に北海道公立大学法人札幌医科大学として新たな出発をいたしました。

北海道女子医学
専門学校レリーフ
医大病院正面
昭和25年

 本学の外科学教室は、開学同年の昭和20年(1945年)に一教室多教授制として開設され、橋場輝芳教授(後の脳神経外科初代教授)が就任しました。整形外科、麻酔科が独立した後、昭和27年(1952年)に外科学教室はさらに一般外科、脳神経外科、胸部外科の三診療科に専門分化されました。本教室の前身となる一般外科教室は、高山坦三先生が初代教授として就任し、その礎が築かれました。平成25年(2013年)には、道内医育大学で初めて手術ロボット「ダ・ヴィンチ」を導入し、最先端医療の提供に積極的に取り組んでいます。

 現在、附属病院、教育棟、研究棟を含めた学内施設の全面改築、増築工事がすすめられており、医療・療養環境が一新されるとともに、充実した教育・研究環境を備えた新たな都市型のキャンパスに生まれ変わることとなります。このような歴史のなかで、本教室は札幌医科大学設立以降一貫して消化器外科および乳腺内分泌外科の診療と研究にたゆまぬ研鑽を重ねています。

昭和30年頃の大学全景、左は附属病院
新キャンパス構想

歴代教授

初代
髙山 坦三 教授

昭和27年4月〜昭和45年6月

 戦後の日本外科学会、臨床外科学会の振興に尽力しました。各学会地方支部会の概念を国内で早期に提唱し、地域全体の外科臨床のレベル向上に務めました。また、手術の名手として多くの人材を育て、広い北海道の地域医療に貢献しました。一方、研究面では「手術侵襲の生体に及ぼす影響ならびにその対策」をメインテーマとして、代謝・栄養学やがんの病理などを基礎教室と連携して発展させ、教室の基礎を確立しました。

二代目
早坂 滉 教授

昭和45年11月〜平成2年3月

 本邦での各種がん治療法の進歩に先んじて、臓器別診療グループ制として治療の質の向上を図りました。附属病院中央手術部部長等を歴任し、日本消化器外科学会、日本乳癌学会をはじめ多数の学会を主催しました。また、日本大腸肛門病学会地方会を設立し、北海道の大腸・肛門病学診療水準の向上に務めました。侵襲学や代謝・栄養学などの基礎研究に加え、本学のエンドトキシン・ショック研究は日本の拠点となりました。

三代目
平田 公一 教授

平成3年2月〜平成27年3月

 日本外科学会理事をはじめ多くの学会の役職を務め、日本消化器外科学会、日本乳癌学会など多数の学会を主催しました。学内では病院長を含め各種要職を歴任しました。先端医療に精力的に取り組み、研究分野ではエンドトキシン研究、外科代謝・栄養学を中心に腹部外科救急医学、肝や小腸の移植学などの業績を残しました。各種疾患治療ガイドライン策定に尽力し日本の医療の均てん化を図りました。平成27年がん診療ガイドライン普及による学術的・社会的貢献で第21回中山恒明賞(日本癌治療学会)を受賞しました。

四代目
竹政 伊知朗 教授

平成27年11月〜

 大阪大学より就任しました。主に大腸がんを対象とした手術法の開発、臨床研究で国内外から 高い評価を得ています。低侵襲治療の第一人者で、ロボット手術を含め腹腔鏡手術の指導者として活躍中です。基礎医学分野では分子生物学的手法による新しいがん診断、治療の開発など次世代へ向けての研究も着々と進行中であり、トランスレーショナルリサーチにも情熱を注いでいます。①最新かつ安心確実な医療、②北から世界へ発信、③人材育成を理念とし、北海道の医療に貢献できるよう一意専心、教室員ともに日々研鑽中です。